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大型和船「テント船」がアートプロジェクトで復活!


2015年早春、雪のなか、氷見の海岸沿いに建つ番匠造船へ向かった。カンカン!と小気味良いテンポで金槌をたたきながら、船大工の番匠光昭さんは、氷見の山から切り出した分厚い杉板を大きく曲げフナ釘を打ち付けていた。「テント船」と呼ばれる、全長9mの木造の船が造られている最中だった。テント船とは、かつて刺網や一本釣りで使われていた大型の和船だ。

木造和船は、昭和40年代まで氷見の漁業で主流として使われていた。小さな和船は、現代の軽トラのように小回りが利く作業用としてあちこちに係留されていたし、大型の和船は連なって沖に出て、ブリやイワシの定置網漁で大活躍した。しかし、プラスチック樹脂のFRPの船が造られるようになり、和船は扱いが楽なFRPの船に取って代わられてしまい、あっという間に消えてしまった。

それなのになぜ、今、木造の和船を作っているのか!?全国的に見ても大きな和船が新しく造られることなんて珍しいのだ。

その理由は、2004年から氷見で始まったアートプロジェクトが発端だ。全国からアーティストがやって来て、”氷見クリック”と呼ばれる、氷見の今を映像で切り取り作品を制作する、リサーチプロジェクトが始まった。

2005年の氷見クリックで、アーティストの牛島均が、氷見の沖合300mにある唐島へ行く映像を制作したいと、船を探していた。私は、網元である友人に連絡し船を調達した。しかしその船には動力がついていなかった!えっ?どういうこと??友人は、船を漕げる人を紹介してくれ、私たちは櫓で船を漕ぐということを知り、唐島へ向かった。その時、船を漕いでくれたのが船大工の番匠光昭さんだった!

そのとき、私たちは船大工番匠さんの思いを聞いた。「和船の造船の技を残したい!でももう和船を造る人がいないからダメながや。」そのとき初めて、木造和船のこと、造船の技が今のままではなくなってしまうことを知った。

海の恵みによって育まれて来た氷見において、木造和船は確実に私たちのアイデンティティに組み込まれているのではないか!?発注者がいないから造れないんだったら、アートプロジェクトで和船を復活することができないか?そんな声が上がった。何から始めれば良いか?どうお金を集めたら良いか?みんなで夜な夜な熱く話し合った。

そんな和船復活プロジェクトが始まったのが2006年。どんなプロジェクトになったかは、追い追い詳しくということで(いや〜ここが本当は面白いんだけど)、、、、

それから10年の間に、 アートプロジェクトで2艘の小型和船”天馬船”を造船!そして大型の和船”テント船”の造船をした!!番匠さんは写真や文章で技を残し、そして何と、番匠さん念願だった、和船の技を受け継ぐ人も現れた。(そのことも、後日追々詳しく、、、)

そして「なぜ今和船が必要なのか?」を考える。氷見に暮らす私たちにとってのアイデンティティの中に和船がある。しかし、和船が郷愁を誘うオブジェのような過去のモノでなく、何らかの新しい価値を生み出し、今、海と山とつながるこの場所で暮らす私たちにとってヒントを与えてくれるものなのではないか。

かつて和船は山〜川〜海の巡りがある自然の循環の象徴のようなものだった。船大工が山に入り木を選定し、木を切り出す。また、浮きや漁具を竹や桐でつくる。そうすることによって、山に手が入り豊かな森が作られた、その森の養分は川をつたって里の土壌も豊かにした。また、切られた木は、川を使って海岸沿いの造船所で船をとなり、大海原に漕ぎ出し沢山の魚をとって人びとに恵みを与えた。大漁で魚が余ったらそれを田畑の肥料としたし、船が古くなったら陸にあげられそれは朽ちていった。なんて無駄のない美しさ!

アートプロジェクトで新たに作り上げた和船を多様な視点でとらえて、今この場所から新しい価値を生み出したい。そして、たくさんの人と思いを共有しながら、ワクワクするコトをしたい!と思っている。