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現役海洋大女子学生が見た氷見の漁業


こちらの記事は、2016年3月19日(土)~22日(火)に、魚々座を中心とした街の中で行いました「氷見ローカルライト~氷見の物語を編む4日間~」で参加者によって書かれたコラム記事です。
※ライター紹介は記事最後にあります。

 

2016年3月、私はいま氷見にいます

私はいま、富山県氷見市にいます。まずは、東京の大学に通う私がなぜ、富山県の氷見市にいるのか説明していきましょう。

私は現在、東京海洋大学というところの1年生です。普段は、漁業資源の管理や海の環境、漁業の仕組みなど海にまつわる様々なことを学んでいます。
私が海洋大学に入学したのは2015年4月でした。この大学を志した理由は、海と人の関わりに興味があったから。どんな小さな海にでも、必ずその土地に住んできた人々との関わりがあります。その関わりから生まれた文化や思想に興味がありました。
今、海洋大学は春休みの最中です。私はこの1年生の春休みにどうしてもやりたいことがありました。それは、日本縦断一人旅。北は北海道から南は鹿児島まで、約1カ月半かけて日本を縦断していこうと決めました。いろんな地域でいろんな人と関わりたい、その土地の漁業に触れたい、そんな思いから、3月2日稚内を出発しました。
縦断の途中、石巻で1週間、カキ養殖業者さんのお手伝いをさせていただきました。そのとき、一緒に働いていた従業員の方に、どこか行ってみたい場所はあるか尋ねてみました。「富山県にある氷見という場所だね。僕の友達が漁業関係の面白い取り組みをしているんだ。」富山県氷見……旅に出る前、ちょうど興味を持っていた場所です。すぐにその方を紹介していただき、数日後には氷見にたどり着いていました。

漁業の町・氷見

氷見駅で電車を降りると、寒ブリのシルエットをした提灯や、寒ブリが市場にならんだ写真のポスターが目に飛び込んできました。氷見の町がどれほど寒ブリを大切に思っているかが一瞬にして伝わります。駅を出て街を見渡してみると、ほとんどすべての家の屋根が黒瓦であることに気付きました。ほんの小さな物置小屋まで、しっかりと黒瓦で統一された町並みは、映画の世界に入り込んだよう。氷見に来てみなければ絶対見ることのなかった風景でした。
そんな氷見の漁業を支えているのは定置網漁です。富山湾では定置網漁が盛んに行われ、その歴史は約400年前に遡ります。かつて、稲作をするにも水が不十分だったこの地域は、収入源もなく“陸の孤島”と呼ばれていました。そこで氷見の取柄となったのが富山湾の豊かな海。大陸棚があることでできる冷たい深層水と対馬海流の暖流が混じり合い、大小さまざまな河川から養分が流入することで、魚の種類が豊富になる。そのため、富山湾は“天然の生け簀”と称されてきました。深い海と豊富な魚種は、定置網漁にとって最適な条件だったのです。

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71歳の現役漁師、濱谷さんを訪ねて……

今回、氷見の定置網漁に対する知見を広めるため、現役漁師でありながらタイの技術支援に携わり、世界定置網サミットに出席されるなど、多面的に活動していらっしゃる氷見地区小型定置網協議会長、濱谷忠さんのお話を伺いました。

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定置網漁とは……

驚いたことに、定置網漁では網に入った魚は、そのうちの2~3割しか漁獲されません。いったん網に入った魚でも、網の中を回遊しているうちに、また網から出て行ってしまうことができるのです。網に入った魚を根こそぎ持っていく巻き網漁や底引き網漁とは異なり、水産資源量を、ある程度一定に保つことができます。氷見の地で定置網漁が400年以上も続けられてきた理由のひとつはここにありました。欲張らず、網に入った魚だけをいただく、この慎ましい姿勢が伝統を支えていたのです。
ところで、資源管理型漁業とは、漁業者同士が話し合い、資源の再生と利用、経営の安定を図る漁業のことを言います。例えば、氷見の漁師たちは仲買人たちと話し合い、週に2日は休みと決めています。毎日漁に出ていたら、魚を取り過ぎてしまう。漁師たちは“乱獲により魚がいなくなって、最初に困るのは自分たちだとわかっている”と濱谷さんは言います。かつて、定置網に魚が入ったのを見計らって網の口を閉めていたことがありました。初めのころはたくさん獲れますが、続けるうちに海が荒れ、漁ができなくなってしまったといいます。網の口を閉じてしまうことによって、それまで逃げ延びていた魚が根こそぎ漁獲されてしまったのです。漁業者たちはここで初めて、定置網漁が水産資源の持続的利用に適した漁法であったことに気付いたのです。
濱谷さんは“人間と同じで、海も負荷をかけすぎるとだめになってしまう”と言います。“魚は海の恵みだから、技術はこれ以上改良されなくていい”。その言葉は濱谷さんの切実な思いでした。

外から氷見に人が来る

今度は、定置網漁師に対する私の疑問を濱谷さんにぶつけてみました。実は私は、数日前に定置網漁の漁船に乗せてもらい、漁を体験させてもらいました。そのとき、一緒に船に乗った漁師の方は8人いらっしゃいましたが、その8人全員が、私に対して何の抵抗もなくすんなりと受け入れてくれたのです。私は驚きました。忙しい漁の現場に、なにも手伝えない人が乗ってくるのです。他の地域では、しきたりとして女性を船に乗せないこともあります。邪険に思われるのが当たり前だと思っていました。しかし、実際は真逆でした。寛容。2,3人ではありません、8人の漁師全員が、抵抗なく私を受け入れてくれ、話しかけてくれ、おいしいものをすすめてくれました。それが嬉しくて、不思議でした。濱谷さんにこの話をすると、次の話が返ってきました。
氷見で営まれている定置網の文化は、五島列島や伊豆、佐渡や茨城、三重にまでに広がっています。というのは、広い漁場を持たない氷見において、親の網を継げるのは長男だけ。次男以下は各地に散らばり、そこで定置網漁を始めることがよくありました。そうすると、次男たちの中に、移った先で結婚してお嫁さんを連れ、実家に帰ってくる人が現れます。氷見から出て行った次男たちは日本各地にいたわけですから、お嫁さんたちもいろんなところの出身なわけです。彼女らを受け入れてきた氷見の人たちは、外から来た人に対して抵抗感を抱かず、自然と寛容な気質が備わっていった、というわけです。しかし、よそから来たお嫁さんをなぜすぐに受け入れることができたのでしょう?答えは単純でした。“こちら(氷見)の人がいろんなところへ行ったとき、受け入れてもらえるから”この話を聞いた瞬間、私は日本縦断中に出会った、30代のお兄さんの言葉を思い出しました。
私は、2月の北海道でヒッチハイクをしていました。雪の降る中、路肩に立ち続けて1時間以上、諦めようとしていたときに一台のセダンが私の前で停まりました。さっそく車に乗せてもらい、感謝の気持ちを伝えるとお兄さんは言いました。“ありがとうは僕に言うもんじゃない。そうじゃなくて、もし君が困っている人や夢を持っている人を見つけたとき、その人に今の気持ちを返してやってほしいんだ。僕も昔、君と同じようなことをしていたから”。氷見の人々が外の人を温かく受け入れられるのは、逆に自分たちが外に行ったときに受け入れてもらえるから。恩というのはバトンとしてしっかりと手渡されていく。そう、氷見で再認識できました。

次世代の漁師たちへ

最後に、濱谷さんに若い世代の漁師へ伝えたいことを聞きました。すると、“魚に対する思いやりと感謝の心を持ってほしい”と答えてくれました。“農家さんを見てみなさい。細いキュウリの一本だってちゃんと箱に並べる。養殖業者だって、小さな魚一匹、荒く扱ったりはしないものですよ”。この言葉を聞いた私はまた、ある60代のおじさんのことを思い出していました。
日本縦断を始めて間もなくのころ、北海道で放流用のサケを育てている漁師に出会いました。サケは川で生まれ、海で育ち、また産まれた川に戻ってくる回遊魚です。彼が育てる放流用のサケというのは、卵から育てられ、ある一定の大きさに達すると放流されて、また川を上がってきたときに漁獲されます。彼は、私の隣で軽トラックを運転しながらこう言いました。“自分の育てたサケが4年後、大きく成長して川を上ってくる。僕が放した川にちゃんと戻ってくるんだよ。そのたくましくなった姿を見ていると泣いてしまう。あいつらは俺の子どもなんだ”。私は驚きました。彼は、自分の育てたサケに対して、深い思いやりを持っている。毎年大量のサケが川を上り、漁獲されるにもかかわらず、決してないがしろにしない、その姿勢に驚嘆しました。定置網で明日の魚を待つ漁業と養殖で明日の魚を育てる漁業、魚1匹に対する考え方は異なって当然。しかし、“その1匹を思いやり、感謝する心を大切にしてほしい”と濱谷さんは願っています。

氷見はパズルでできていた

これまで見てきた氷見の漁業。そこから私は、氷見の魅力の源となっているものを見つけました。氷見はパズルのようなものなのです。
400年以上続く定置網漁というパーツ、魚を取り過ぎない工夫をする資源管理型漁業のパーツ、それによって漁師自身が生かされているというパーツ。富山湾というフレームにぴったりとはまったパズルです。氷見の人が寛容なのも、氷見から出て行った人がお嫁さんを連れて帰ってきた歴史のパーツがあったから、恩を送る人、恩を受ける人、また次の人に恩を送る人、このすべてのパーツが揃っていたからこそ、外の人を温かく受け入れられる。そして、たくさんのパズルが集まって、氷見という町が生きている。今、例えすべてのパズルが完成していなくても、氷見のどこかに完成させようと努力している人がいる。そんないきいきした街に来られたこと、きらきらした人に出会えたこと、本当にうれしく思います。
もし、私の住む町にもこんなパズルがあったなら、私も組み立ててみたいと思いました。私が東京の下宿に帰ったころ、数年後、数十年後、氷見のパズルはどれほど完成しているでしょうか。
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濱谷さん、氷見ローカルライト参加者のみなさんと記念撮影

ライター紹介

sh鈴木帆音(すずき ほのん)

東京海洋大学、海洋科学部海洋政策文化学科。漁業の現場を訪ねるためヒッチハイクなどをしながら日本縦断中、宮城の人に紹介されて氷見を訪れる。3月末には無事九州までたどり着く。