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氷見の和船と丸木舟


『カブス』をお読みの皆さんはお気付きのことと思うが、今の氷見は、なんだか和船に強くこだわっているのである。

私が学芸員を務めている氷見市立博物館和船にこだわっているし、魚々座だって新たに建造された和船が展示の目玉のひとつになっている。

何故氷見は和船にこだわっているのだろう?

漁業のまちだから。それもある。
海以外にも十二町潟という舟が欠かせない地理的環境があったから。それもある。
だが、それだけではない。さまざまな出会いや偶然が重なって今の氷見がある。

ひとつ確かなのは、氷見市には、現役の船大工さんがいて、江戸時代より続く定置網漁を営む漁師さんたちがいて、さらには漁業にまつわる歴史や文化を守り伝えていきたいと、それぞれの立場で行動している人たちがいるということだ。

自分自身、船というものにこだわりはじめてから13年たつ。
それは一艘の丸木舟がきっかけだった。

 

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鞍川D遺跡出土丸木舟(平安時代末期) 氷見市立博物館蔵

平成15年(2003)6月、その当時私が担当していた氷見市鞍川D遺跡の発掘調査で、井戸側(いどがわ:地中に埋設された井戸枠)に転用された丸木舟が出土した。丸木舟とは、丸太を刳り貫いて造られた舟のことをいい、刳舟ともいう。鞍川D遺跡から出土したその丸木舟は、井戸側に転用される際に輪切りにされたため断片的な資料ではあったが、我々に実にたくさんの情報をもたらしてくれた。平安時代末頃活躍したと考えられるその丸木舟は、推定全長約10m、船体にはチョウナ(手斧)や角ノミ(鑿)による加工の痕や、埋木やカスガイで補修した痕が残る。船底にはフナクイムシなどに食われた痕があり、このことから海水域で使われた丸木舟だとわかる。

平安時代終わり頃に建造され、氷見の海でおそらく漁撈や舟運などに活躍した丸木舟は、修理の手を加えられながら大事に使われてきたのだろう。鎌倉時代に入り破船となった後も粗末に扱われることなく、井戸という人びとの生活になくてはならないものに転用された。

通常、破船となった船が現在まで姿を保つことはない。木でできた船の部材はさまざまなモノに転用され、最終的には薪として燃やされてその姿を消す。また、土器や石器と同じように土中に埋もれたとしても、有機質の木材は朽ち果てて土に還るため、考古資料として残る可能性は少ない。

鞍川D遺跡の丸木舟は、井戸という地下水が豊富で木材が腐りにくい性質を持つ場所に埋設されたため、その結果として、数百年後の我々に当時の丸木舟の姿を教えてくれることになった。実は、富山県内の遺跡ではっきり丸木舟とわかる資料が出土したのは鞍川D遺跡が初めてだった。しかも、その県内初出土の丸木舟は、平安時代末期の造船技法の数々が、文字通り刻み込まれたものだった。

この丸木舟について検討を加えていくなかで紹介されたのが、市内在住の船大工、番匠光昭さんだった。番匠さんは、昭和57年(1982)の博物館開館時に定置網漁の網取り船ドブネの復元模型の製作を手掛けた方であり、現在は失われつつある和船の建造技術を今に伝える方でもあった。番匠さんからは、出土した丸木舟に対して、机上の空論ではない船大工ならではの視点からご意見をいただいたのだが、それだけではなかった。この件をきっかけとして、我々博物館の学芸員が、あらためて氷見の和船というものについて目を向けることになったのである。

我々と丸木舟との出会い、さらには氷見市立博物館と番匠さんとの出会い(これは再会と言ったほうがいいだろう)が発端となって、番匠さんを代表とする「和船建造技術を後世に伝える会」を設立したのが平成15年(2003)10月のこと。それから12年あまり、番匠さんと我々は和船とその建造技術を後世に残し、伝えるための活動を行ってきた。さらには会の活動と並行して、番匠さんはアートNPOヒミングの2艘のテンマをはじめ、市の内外から次々と和船の発注を受け、造船技術とその技術の結晶である実物の和船を世に残していった。

そもそも和船とはいったいどんなモノなのだろうか。

狭義には、江戸時代に発達し全国に広まった、板を曲げ付けて船体を形作る棚板構造で、船首に角材の一本水押を持つ形式の船をいう。またより広義には、約7,500年前、縄文時代の丸木舟以来連綿と受け継がれてきた、この日本列島で用いられた在来工法による木造船全般をいう。

富山湾、そして氷見の和船からは、丸木舟に源流を持つ「刳る技術」を色濃く残すこの地域固有の造船技法「オモキ造り」と、江戸時代初め頃に伝わってきた板を合わせて和船を形作る造船技法が交じり合った、特徴的な様子を見出すことができる。

言い換えれば、現代に伝わる和船の建造技術は、縄文時代から途切れることなく続く「木で船を造る技術」の延長線上にある。つまりは番匠さんをはじめ氷見の船大工さんたちが持つ造船技術には、おおよそ7,500年にわたって積み重ねられた重みがあるとも言える。だが、昭和40年代後半にFRP(繊維強化プラスチック)による造船が普及したことから、木造の和船は急速に廃絶に向かっていった。

現在、7,500年にわたってこの日本列島でつちかわれてきた木で船を造る技術は最後のときを迎えつつある。おそらくその最後の瞬間に立ち会うことになる現代の我々にできることは何だろう。今の氷見が和船にこだわっているのは、意識的にせよ無意識的にせよその答えを求めてもがいているからにほかならない。

ともあれ私としては、氷見内外のもっと多くの人に和船とそれにまつわるさまざまな事象について知ってもらうべく、この『カブス』という場を借りたいと思っているのである。これからもどうぞよろしくお願いします。


氷見市鞍川D遺跡

富山県氷見市鞍川1096

 

十二町潟

富山県氷見市十二町177-1

もっと知りたい方はこちらも:

氷見地域の和船とその建造技術~他地域との比較検討を通して~

氷見市博物館
氷見地域の木造和船

木造和船の建造技術