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〔氷見おんな酒場放浪記 vol.1〕魚に箸が進む酒を造るということ 髙澤龍一氏(株式会社髙澤酒造 代表取締役) (第1回 /全 たぶん3回)


私は某TV番組のファンである。
ここでは、番組に敬意を払いつつ、そんな酒場で誰かに少し話をしたくなるようなことを綴れればという思いで、このタイトルとした。

 

氷見にはひとつ、小さな酒蔵がある。創業明治5年、髙澤酒造だ。

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高澤酒造は旧国道に面していて、直接お酒を買うことができる。

私の個人的印象だが、髙澤酒造のお酒ってなんだかとっても『クール』。特に曙のラベルデザインは、ぜひ見てほしい。真っすぐでカッコイイ。実際頂いてみても、どんな食事にも合うだろうなと感じる。じゃあクセがないのね?と言われると、クセという一言で済ませてほしくない。米の香りも確かに感じるし、日本酒を頂いているという実感がありながら、何の邪魔もしない。でも、こういうお酒が理想の常飲酒なのかなと私は思う。

 

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日本酒ブームの昨今、蔵見学や試飲レポートは無数に溢れているが、酒の造り手個人の歴史についてはあまり触れられていない。
氷見の酒蔵の長男として生まれ、どのように生活し、感じ、今の酒造りにつながるのか、私たちの知らない話がきっとあるはず。氷見の魚を食べる、氷見のお酒を飲むには、まず『その人』を知ることも面白い気がした。

髙澤酒造はJR氷見駅から約2キロの所にある。
『曙 高澤酒造』と書かれた堂々たる白い看板がすぐ目についた。ここで髙澤龍一さん(40)は、氷見唯一の酒蔵、髙澤酒造の蔵元杜氏をされている。
防波堤の名残を目の前にする蔵。海はすぐそこだった。初秋の少し涼しい風が吹き、氷見の海を眺めながら、先代からの伝統を守り、時代に合わせた改革を行い続ける髙澤さんに、これまでのこと、これからのことをお聴かせ頂いた。

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高澤酒造さんの事務所からの眺め。氷見の象徴的な島、唐島が浮かぶ海が見える。天気のよい日は、立山連峰がすっきり見える。

 

「毎朝、お茶碗の上に蒸米を乗せてもらって食べるのが大好きだった」

髙澤さんは、二人姉弟の長男として氷見にお生まれになる。
保育園に行く前には、毎朝お茶碗の上に蒸米を一握りずつ乗せてもらって食べていたが、それで自分の家が実際に酒造りを行っているとはリンクしなかったそう。小学校に進学してしばらくしてから、ようやく気づき始めたらしい。
当時の髙澤酒造は、ご両親と能登から酒造りを行いに来ている、能登杜氏率いる蔵人たちで少しずつ造っていた。

※杜氏(とうじ)…日本酒の醸造工程を行う職人集団、すなわち蔵人の監督者であり、なおかつ酒蔵の最高製造責任者をいう。(wikipedia引用
※能登杜氏(のととうじ)…大正時代からの歴史があり、石川県能登半島の先端付近、珠洲市や内浦町を発祥地とする、日本酒を作る代表的な杜氏集団の一つ。能登半島の海岸沿いの丘陵地は耕地面積が狭く、農業を営むには不適で、農閑期に酒造りのために出稼ぎを行っていた。(wikipedia引用

中学生になると野球部に入り、部活動中心の学生生活。この頃になると、冬休みなどのまとまった休みには、お父様と一緒に配達を行ったりと、少しずつ店舗の手伝いを始めたが、酒造りに関しては、杜氏が専従していたため、一切関わることはなかった。
部活と学業に専念する日々。
この頃、酒造りへの興味、杜氏になりたいという希望は「まったくなかった」と、髙澤さんはキッパリと仰った。

 

「とりあえず、氷見から、富山から出たかった」

進路を決める際、お父様から農業大学の存在を教わり、ここで初めて親子で少しだけ家業に結びつく話が出た。
先代である、髙澤さんのお父様は、髙澤家の次男としてお生まれになる。このため、家業を継ごうという気が最初からあったわけではなかった。ご長男であるお兄様が継ぐ予定であったが、別の道を歩まれることとなり、急遽お父様に白羽の矢が当たり、氷見に帰ってきたという歴史がある。「父は文系でしたし、本当は新聞記者になりたかったみたいです。突然家を継ぐことになったので、自分には酒に関する知識をしっかり勉強してほしいという思いがあったのだと思います。」と、髙澤さんは当時を振り返られた。
高校生時代、理系の髙澤さんは成績は常にトップクラスを維持していたものの、物理がどうしても苦手だったとのこと。なんとも信じられないが、赤点ばかりだったとか。しかし、それと反比例するようにバイオへの興味が沸いてきて、このことから、ごく自然な流れで東京農業大学に進学することとなる。
しかし、個人的にはもうそろそろいいんじゃないかとは思ったものの、この流れとは裏腹に、まだ酒造りへの興味、杜氏になりたいという希望は「まったくなかった」と、またしても髙澤さんはキッパリと仰った。

髙澤少年、このとき18歳。
都会への強い憧れから、大学進学と同時に氷見を離れることになります。
造り酒屋のご長男。一体、いつになったら酒造りに興味を持たれるのか。
続きのストーリーは、また次回に続きます。