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〔氷見おんな酒場放浪記 vol.1〕魚に箸が進む酒を造るということ 髙澤龍一氏(株式会社髙澤酒造 代表取締役) (第3回 /全 たぶん3回)


私は某TV番組のファンである。

ここでは、番組に敬意を払いつつ、そんな酒場で誰かに少し話をしたくなるようなことを綴れればという思いで、このタイトルとした。

 

前回の記事はこちら

 

都会で酒造りに没頭する日々。

ある一本の電話をきっかけに、氷見での生活が始まろうとしていました。

 


 

 

「まだ氷見には帰れない」

杜氏が倒れたと知っても、すぐに氷見には帰るわけにはいかなかった。いつかは氷見に帰らないといけないとは思っていたが、この時点では心身共に準備ができていなかった。まだ『一等國』で学ぶべきことが山程あった。酒造りに関して、杜氏がいないということは、言うなれば現場監督がいないということである。しかし、このような緊急事態にも関わらず、先代であるお父様は氷見に帰ってこいとは仰られなかった。「父親から連絡をもらったとき、申し訳ないけど、まだ帰れないと言いました。」今携わっている酒造りもまさにピークの時期でであったため、率直にお父様にこう伝えたそうだ。しばらくして、こちらの酒造りがひと段落した頃、一等國の専務が、『あなたの家なのだから、向こうでの酒造りが落ち着いたらまた戻ってきなさい。もしやってみて、家を継ぐという決心がついたら、またゆっくり話をしよう。』と仰ったそう。ここでも選択は、すべて髙澤さん本人に任せられていた。

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「兄さんにそんなすぐに酒造りができるもんか」

氷見に帰り、家族で話し合った結果、髙澤さんは23歳11か月で家業を継ぐことを決意されます。

先日、体調を崩された杜氏さんといえば、「俺は、補佐なら大丈夫だ。兄さんにそんなすぐに酒造りができるもんか。」と、何度となく言われ、プレッシャーを感じたこともあったそう。氷見での酒造りは、思った以上に厳しい出だしとなった。一緒に働く人たちも、杜氏が連れてきた能登の蔵人たち。それまでの自由な時間の使い方、酒造りの仕方など、大阪にいた時と異なるスタイルに戸惑うことも多かった。このとき、頼りになったのが、一等國でコツコツと残していた酒造りのメモである。段取りや工程を記録していた。心強かった。米の歩合など、杜氏からも少しずつ教わりながらではあったものの、自分のスタイルを貫いた。

いい酒ができない、いい麹ができないと悩んで過ごすうちに、二年の月日が流れ、髙澤さんは大きな決断をされます。「髙澤くん、技術はこれからなんだから、いい麹を造りたいんだったら、まず室を新しくしたらいいよ(※)。」と、勝駒を造っている有限会社清都酒造場の社長に言われ、すぐに心を決めたそう。いい酒を造るために、酒造の室を新しくすること、自分自身が杜氏になることを決意した。

(※)むろ/麹室/こうじむろ:麹を製造する施設。

お父様に自分が杜氏になること、そしてこれまでの杜氏と蔵人二名を断ってもよいかということを相談したところ、「いい酒を自由に作れるのであれば、好きにしなさい。」と仰られたそう。髙澤さんが氷見に帰ってきて、一人で苦労されている姿をお父様は、しっかりと見ていらっしゃったのだ。

ちなみに、「杜氏さんが元気であれば、まだしばらくは大阪にいたと思う。」と、髙澤さん。住んでいたところは、大阪のなんばから電車で一本という利便性の高い地域。新しい友人も増え、飲みに行くのもなんだか華やかで楽しかったそう。故に、この社会人二年目が髙澤さんにとって、大きなターニングポイントとなったそうです。

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「キレのいい酒を造り続けていくことこそ、髙澤」

新しい室。

心機一転し、氷見での生活リズムに慣れてきた。若いときにはわからなかった、氷見の豊かさにも気づいてきた。「新しい蔵ができた頃ですかね、魚だけでなく、山の幸も頂いたりすると、やっぱり氷見でよかったなあと感じるようになってきました。景色がいいですし、富山県内でも氷見は恵まれていると感じますね。」と仰った。

ちょうどその頃、小泉名誉教授が髙澤酒造を訪れ、「髙澤くん、ここすごくいいよ。蔵から海が見えるところなんて珍しいし、こんな恵まれている場所はない。ここで酒、造っていかないとだめだよ。」と声を掛けて頂いた。

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と、ここで髙澤酒造の味の根幹はどのようなものか伺ってみた。「それは絶対的に『キレ』ですね。親父にも言われましたが、脂を洗えなければ、どんなにうまい酒でも負けてしまうから。」氷見の鰤の濃厚な脂に負けない酒、それこそが、キレのある髙澤酒造のお酒である。『キレ』は、酸とアミノ酸のバランスで成り立っている。このバランスを杜氏が完全管理し、髙澤酒造が求めている、やや酸の立ったバランスに仕上げる。「苦みを隠すためには旨みって大切なんですけど、うちはあくまでも海のお酒なので、魚に箸が進む酒にするためには、余韻を残さないほうがいいんです。」 氷見の酒は、絶対的にキレがないといけないのだ。

 

「氷見に遊びに来たら氷見のお酒を選んでほしい」

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最近では、氷見の旅館に髙澤酒造のお酒を置いてもらうようになってきて、少しずつ氷見という土地で飲んでもらうことが増えてきたそうだが、「地元での消費量は、まだまだですね。」と高澤さんは仰った。全国の地酒が好きな方であれば、例えば旅行先でその土地土地の食事と日本酒を頂く、というのを楽しみのひとつにされている方も多いと思う。その場合、『富山県の酒』を選択しがちで、『富山県氷見市の酒』を選ぶことがまだまだ主流までとはなっていない。

今年の冬、もしこのコラムをご覧のあなたに氷見の鰤を食べる機会があったとしたら、当然のように氷見に拘って酒を飲んでみてほしい。曙は、氷見の鰤に箸が進むよう、プロが真剣に作り上げた作品である。ここまで拘った作品を、わざわざ選ばずして鰤を食べるのは、なんだか勿体ないではないか。氷見の魚に氷見の酒を用意する。この選択は、この話を知ってる大人ができる、特別な楽しみ方だと私は思う。

 

氷見唯一の酒造、髙澤酒造の『曙』ブランドを県内外に周知してもらうため、次にとるべき行動は何か。

髙澤さんはすでに走っていた。

 


 

編集後記

取材をさせていただいた後、髙澤さんが普段ご贔屓にされているお店に連れてってもらいました。

割烹 しげはま』さんです。

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早速、『曙 初嵐』を常温で頂きます。間違いないですね。すっきりしているので、いくらでも飲めそうです。

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こちらの酒場では、『ロックな蔵』について話題に上がりました。全国的にも有名な秋田県の新政酒造さんなど、髙澤さんと同世代の蔵元杜氏さんたちが全国的に増えているそうです。新しい世代が個性を出し、新商品、ラベルデザイン、ネーミングにも力を入れていて、酒造りに対するスタンスを各々表現しています。こういう角度から地酒を試してみるのも楽しいですね。

髙澤酒造の酒に、舟盛り、メバルの煮つけ、鰤の肝。はっきり言って最高です。メバルの煮つけは、身がふんわりとして、煮汁のお味がちょうどよく、「すごく美味しくてびっくりしました。」と、お母さんに直接お伝えしました。本当にいろんな魚料理に合うので、ついつい箸が進んでしまいます。

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「実は、うちの酒のラベルの書って家内が書いたんですよ。」と、おもむろに瓶を手に取る髙澤さん。実は奥様は髙澤酒造のラベルやキャップのデザインを担当されている。逆栓弁のついた新キャップの『曙』の刻印など、お洒落でかわいい。これまでの地酒にはなかった新しいイメージのものです。ぜひ手に取ってみてください。

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貴重なお話しを伺いつつ・・・魚に箸が進めば、お酒も当然進みます。

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JR氷見駅 22:07。

忍者ハットリくんが描かれた列車に駆け足で飛び乗ったところで、記憶とお気に入りの傘をなくしたことは、ここだけの秘密のお話。

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