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〔氷見おんな酒場放浪記 vol.2〕ひみつカレーのひみつのお話 仲有紀氏(ひみつカレー店主) (第1回 /全 たぶん3回)


私は某TV番組のファンである。

ここでは、番組に敬意を払いつつ、そんな酒場で誰かに少し話をしたくなるようなことを綴れればという思いで、このタイトルとした。

 

氷見にはひとつ、小さなカレー店がある。その建物は、小さな箱。

テイクアウト専門店で土日祝日は定休日。にもかかわらず、イベントに出店すれば大行列、即完売の超人気店だ。

 

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実際、私自身もひみつカレーさんの大ファンである。

いろんなスパイスがふんだんに使われているので、香りもよく、またお野菜もカラフルで、見てよし食べてよしと言ったところか。

ちなみに、どのカレーを選んでも、所謂『ハズレ』たことが、今までに一度もない。なので、安心して初めてのメニューにも挑戦できる。カレー店で、この安定感。不定期で販売されている、ガパオなんて最高だ。ああ、こう綴っている間に、また食べたくなってきてしまった。

 

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氷見の小さなカレー店。

どうしてこんなに人気店になったのか。ひみつカレーのグルメレポートや、購入報告などはSNS上に無数に溢れているが、店主個人の歴史についてはあまり触れられていない。この氷見で、どのように生活し、感じ、この小さなカレー店が生まれたのか、私たちの知らない話がきっとあるはず。ひみつカレーのひみつのお話を店主の仲さんにお聞かせいただきました。

 

「謎の匂いについて、突然家族会議になった」

仲さんは、男兄弟の真ん中の長女として大阪府に誕生した。

兄妹仲もよく、子どもの頃は、少年漫画と少女漫画を持ち回りで買い、よく三人で読みまわしていた。

お父様は、サラリーマン。三兄妹は各々かなりこのお父様の影響を受けている。何かというと、『うちのお父さんは、めっちゃ食いしん坊なんです!』と、ニコニコの仲さん。お父様は、営業職という職業柄、美味しいランチのお店を見つけては、後日家族全員を連れていった。外食の頻度は、おそらく他のご家庭よりも多かったそう。グルメなお父様のおかげで、いろんな食に小さい頃から触れる機会があった。と、ここで特に印象に残っているメニューは何か伺ってみた。

『中学のときだったかな、中国料理に連れてってもらったときのコースで、一番最後におかゆが出てきて。そこにパクチーが乗ってたの!それが初めてのパクチーとの出会いやってんけど、まだその頃、世の中にパクチーがあんまり知られてないときで、「なんだこりゃー!!」って父親が大騒ぎになったんですよね。そこから、突然の家族会議になりました。』

中華粥の上に、ゴマやクコの実などいろいろ乗っていたので、この謎の匂いの素が緑の葉っぱだと気づいたとき、家族全員でブルブルと震え上がったんだとか。なんだか楽しそうな一家である。

ちなみに、この中華粥騒動がトラウマとなり、以降、お父様は一切パクチーを口にすることはなかった。

 

また別のある日、その日も家族で中国料理を食べた帰りに、ふらりと寄った喫茶店で、一家は初めてカプチーノと出会う。カップの脇に茶色い木の棒が刺さっていた。そうこられると、またしても例の家族会議である。何をするための棒か。齧ってみる。木の味や!混ぜるのか。混ぜるために棒刺すか?と、ツッコミが入る。白熱した議論の結果、その謎の棒をおもむろに手に取ったお父様は、「すいませーん!!」と、大きな声で店員さんを呼んだ。しかし、それはシナモンスティックであり、店員さんを呼ぶ棒ではないことを、一家はその時に知ることとなった。

 

ちなみに仲さんのご実家の家訓は、「食べたことのないものは、まず一口食べろ」だそう。

この家訓を仲さんは現在、ご自身のお子様たちにも伝えている。食わず嫌いをしないで、食事を楽しむ子になってほしいと願う母心は、実は筋金入りの食いしん坊である、お父様譲りのものだったのだ。

 


 

中華粥騒動、カプチーノ棒事件などを経て、今振り返ると、パクチーもシナモンも、ひみつカレーには欠かせない重要なスパイス。気が付けば、仲さんは小さいころの面白エピソードとともに、自然とスパイスに触れていた。

 

店内では、カレー以外にもシナモンを使ったひみつカレー監修のCHAIアイスクリームも販売されている。
店内では、カレー以外にもシナモンを使ったひみつカレー監修のCHAIアイスクリームも販売されている。

 

「気づいたら卒業間際で、怒られました」

中学校は演劇部。

しかも、宝塚歌劇団の大ファンである叔母さんに、しょっちゅう劇場に連れてってもらっていた(実は舞台よりも、帰り道にいろんなお店に食べに連れてってもらうことをお目当てとしていた)。このため、小さいころから舞台観劇を楽しんでいたこともあり、芸術に関することで、何かできる人になりたくて、大学は大阪芸術大学の芸術計画学科を専攻した。

『この頃は、はっきりとした目標もなく進学してしまったので、学業というよりも、写真展に行くためだとか、舞台を見るためにアルバイトしたりして過ごしていましたね。そうこうして、気づいたら四年生の一月になってて。慌てて就職課に行ったら、「何しにきたー!!」って怒られました。』

こうなったら仕方がないので、自分でパラパラと求人誌で調べて、採用されたのが神戸三ノ宮の東急ハンズ。ここでは、新人仲さんたっての希望で、『DIY素材フロア』に配属された。大きい発泡スチロールの箱や、全面ラメラメの布など、これ何に使うんやろう!と、ツッコミながら、おびただしい量の素材に囲まれ、本当に楽しかった。一番大変だった業務は、夏休み工作の見本作り。工作に必要な素材の分量や長さなどを測り、作り方を書いていく。一から作り上げるので、結構手間暇がかかっている。言わば、夏休み工作のレシピ作りが仕事だった。

 

「やっぱり好きなことを仕事にしようって、ふいに思ったんですよね」

楽しんでいたはずの、東急ハンズ生活。

でも、なんか違う気がして、結局一年半で辞めることにした。次は、東急ハンズの就活用の証明写真をお願いしていた、近くの写真館に採用された。

ある日のこと、ずっと楽しみにしていた舞台を観に行こうと、大学の先輩に借りたバイクで意気揚々と劇場に向かっていた。ふいに、左折してきた乗用車に激突。

よく、大事故に遭ったとき、走馬灯のように・・というけれど、あっという間の出来事で、全然記憶がない。

それよりも、舞台に行けなくなることが絶対に嫌だった。だって、本当に楽しみにしていた。

慌てて起き上がってみると、右腕が見事に「への字」に曲がっていた。『への字や!への字や!』と、自分の腕にツッコミを入れてるうちに、なんだか笑えてきた。全然痛くない。救急車を呼んでくれたおばちゃんは大騒ぎしているけど、まるで漫画の一コマを見ているようだった。

結局、この事故で一週間入院。『これでなんでかしらんけど、ああ好きなことを仕事にしようって、ふいに思えてきたんですよね。』と仲さんは笑って仰った。

一度きりの人生。好きなことを仕事にしようと、大事故を経験して痛感した。


 

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にしても、カレーに微塵も興味を示さないまま、もう大人になってしまった仲さん。

好きなことって芸術じゃないんですか!とツッコミを入れたくなりつつ、カレーへの道が開通するまで、もう少しお話しを伺ってみました。

ここからのストーリーは、また次回に綴ることにします。

photo by hiroko takeda