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私は海が嫌いだったⅡ (リレードキュメント『わたしと氷見の海』)


こんにちは、カブス編集室です。

アクション(プロジェクトのレポートや目的)を発信するのではなく、それをしている自分のことについて内省してみてはどうか。もしかして、この内省の中に自身の新しい活動や方向性を見つけることができたり、今悩んでいる他の人が現状を突き進むためにヒントがあるかもしれない。

具体的には、『わたしと氷見の海』というなんともエモく※なりそうなテーマで記事で書いてもらう、という企画を思いつきました。前回は、静岡から氷見に来た金子キノコさんでしたが、今回は氷見生まれで外に出て戻ってきたという高野さんにバトンが渡りました。

(※「エモい」 :語源はemotional (感情・感動といった意味の英語)で、若者言葉でよく使われる)

 

三月、どーんよりした空の多い北陸の冬が終わり、春を感じる晴れた日が増えてくる。

そうすると私は、氷見の海岸をドライブしたくなる。能登半島の北へむかい車を走らせると、薮田のトンネルをぬけ、右手に海が広がる。キラキラした海の時も、ふわっとした優しい海の時も、碧のグラデーションが重なる時も、「おっ」ていうような感動をくれる。

また、私はアートNPOで氷見の価値を掘り起こす活動をしているのだけれど。そこで復活させた木造和船で、夏には沖合300mの唐島へいく体験を企画したり、蛸壺漁体験を行って、子供達と一緒に蛸を食べたりもしている。

私にとって海は、氷見でくらすことの、基本であり、氷見の価値の最大の要素の一つだ。

でも、かつての私は海が嫌いだった。海はただそこにあるだけのものだった。

 

私が生まれたのは、家のすぐ後ろは山、前は田んぼの里山。子供の頃は、山に秘密基地を作って遊んでいた。

家から海までは車で10分。でも一人では海には行けない。

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小学校も、山の地域の子供達が集まる上庄小学校へ。めちゃめちゃ山の子だった。

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そして、2年生になるとスイミングスクールに行く事に。週二回のプール通い、週末には進級テスト。私は、どんどん級をあげて、4年生には選手コース的なところに入っていた。

毎日毎日、学校が終わると母が車で迎えに来て、高岡の市民プールへ行き水泳のスパルタ練習。一番つらかったのは、冬休みが終わるとすぐに始まる北陸三県の強化練習。12月24日から30日まで、家を離れて合宿があり、一日三回練習でゴーグルに涙をためながら泳いだ。そんな努力もあり、小学校高学年になると、ジュニアオリンピクにも出場した。

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私にとって泳ぐ場所は夏も冬もプールだった。それでも家から海までは車で10分と近いし、沿岸部に親戚もあったから、海水浴にも行った。でも、なぜ海で泳ぐのか意味が分からなかった。プールでは、タイムを縮めるために泳ぐ。海では何のために泳げば良いのか?その時の私にはわからなかった。そして、何よりも海は塩っぱいし、体がべたべたする。まったく好きになれなかった。

 

そうはいっても、氷見に住んでいると海からの恩恵は沢山うける。何と言っても小さい頃から家には魚がたくさんあった。なぜならば、母が魚の仲買人組合の事務をしていたので、魚を毎日のように”箱もらい”してきていたのだ。カニは大好きなおやつだったし、夏のアジのたたきをキーンとしやして食べると「よっ、アジの天才!」と言いたくなる美味しさだし、父が好きな焼き魚は毎日のように夕食にでた。家は山にあっても、いつも食卓には魚があった。

でもそんな事はお構いなし、私は田舎が嫌いで、高校を卒業すると東京へ。氷見よおさらば〜戻る事は考えていなかった。しかしひょんな事から富山で仕事を始め、地域に密着したNPOで活動し、どっぷりと氷見の良さを満喫していた。

そして今では、私は海が大好きだ。それは、ヒミングという地域の魅力をアートで掘り起こすNPOでの、さまざまな出来事と出会いがあったからだ。

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2005年夏、ヒミングの前身のプロジェクトで木造和船と出会った。

木で出来た和船は自然の循環の象徴だった。山で木を切り倒し、山が整備され山肌が呼吸をするように豊かになる。木は川を伝い、川下にながされ、山の養分は雨が地面にしみ込み川を伝い広がる、そして海に流れ出る。海沿いの船小屋では船大工が山の木で船をつくり、漁師は連なって和船で漁に出る。大漁となれば、港は沸き、食べきれなくなった魚は蒸して田畑にまかれ農産物を肥えさせた。氷見は海と山がちかくて、その自然のサイクルがあった。そんなサスティナビリティーが氷見の最大の魅力だと思った。

2006年、昭和40年代から使われていなかった和船を復活させるプロジェクトが始まった。小さな30㎝ほどの木の船にナンバリングし、1000艘ちかい船を川にながしレースをした。一艘1000円でレースに参加してもらうという、ドネーションの先駆けだった。国内外のたくさんの人に参加してもらって、2008年、本物の和船が復活した!

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和船は、むかし子供達の遊び道具だった。和船は上庄川にたくさん係留されていて、子供達はちょっと失敬して、船をこいで島までいったという。完成したヒミングの和船には、そんな昔のこども達だったおじさんが集まって、懐かしそうに船をこいだ。和船は、上庄川沿いに建つ赤い蔵(当時ヒミングの事務所だった)においてあり、夏には和船の遊覧体験もおこなっていた。だから、赤い蔵には地元のおじさん達があつまり、たくさんの海の事を教えてくれた。

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今日の漁について話してくれたり、釣ったばかりの魚を持って来てくれて美味しい魚をたくさんもらった。そして和船にのる企画では、おじちゃん達は得意げに和船をこいで、私たちにも漕ぎ方をおしえてくれた。

和船は一本の櫓を八の字にこいで進む。おじさん達が櫓をこいてくれるのを、私はいつもいつも見ていた。

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この時点で私は海の事をとても良く知っていると思っていた。しかしそれは大きな間違いだった!

私は三段階で目からウロコが落ちる経験をする。

まず最初のウロコは、船が完成して一年以上経ったころ、氷見の沖合300mにある唐島へ和船で出かけたときだった。

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波は穏やかで、私は和船をこいでみたいとおじさんにいって、船を漕ぎ出した。ずっとおじさん達の漕ぎ方を見ていたせいか、おもいのほかすっとこげた。何もない海で、自由に櫓をこぎ私は上機嫌だった。

 

私は船がこげると思った。

しかしその夏、私は和船をこいでいて川で動けなくなるという経験をした。

ある日、和船の櫓漕ぎをマスターしようと川で特訓しようと思いたち練習を始めた。自信はあった、一回目であんなに上手くこげたんだから、川なんて余裕とおもっていた。川幅30mほどの上庄川の河口で練習をはじめた。あれ?なんだかまっすぐに行けない!スタートしてから50mで、反対側の川の端によって、にっちもさっちも動けなくなった。

すぐそこに皆が見ているのに、そこに戻れない。そんな私をみかねて救助の船がやってきた。

私は知った。船は動かせるではダメなんだ。操る事ができないと漕げないんだ。海には、潮があり、風があり、波がある。まっすぐに漕ぎたければ、それを感じながら櫓の動かし方を操らなければ行けない。最初はたまたま上手く言っただけで、船を漕げた訳ではなかったのだと。

海と向き合って生きている人は、これらの潮、風、波の情報を体で感じて生きている。海という情報の中にもそんなに沢山の情報があることを私はしらなかった。

 

”海”には、とてつもなくたくさんの情報が詰まっていて、そこにはたくさんの情報のレイヤーがあると感じた。本で知っている海、見ているだけの海、和船をこいで体感した海。きっと世の中はそんなたくさんの情報のレイヤーで出来ている。知っているということと体感するということは全く違うし、その間にはたくさんの情報が詰まっている。

 

二つ目のウロコは、その翌年また和船で唐島へ行った時だった。

唐島はユニークな動植物がいるとき聞き、海のなかを見る為に箱眼鏡を持ってでかけた。島のそばで船から海に乗り出し、箱眼鏡で海の中をのぞいてみた。

そうすると30㎝四方の視角から小魚が数匹泳いでいるのがみえた!

え〜〜〜〜だって海の上からは魚なんて見えないし、唐島の周りに魚がこんな普通にいるとは思っていなかった〜〜〜

 

そして三つ目は、またその翌年の唐島で。今度は海にもぐってみた。

またまたえ〜〜〜、魚がうようよいる〜〜〜〜!!!!

だって箱眼鏡では二、三匹の魚しかみえなかったのに、もぐってみると魚が手につかめるようにたくさんいる!!!

全然しらなかった!

氷見は魚がたくさんとれる理由をすこしわかった。こんな小魚がいないと港には魚があがらないよね、、、

それまで「氷見は魚の種類が多様でそれが氷見の価値です」とわたしは聞いただけのことを話していた自分に唖然とした。

 

本当に私は何も知らなかったのだ。いや、知っていると思っている事も、知らない事がたくさんつまっているかもしれないのだ。世の中には文字や写真や映像で、たくさん情報が氾濫しているようにみえても、それは体感した情報と質が違うのだ。

そんな大切なことを教えてくれた海は、いまでは私が愛する海になった。

そして、かつて海が嫌いだった私は、海のそばで暮らすことに本質的なものを感じている。

これからどんな場所で暮らしても、もしも海のそばに暮らさなくても、海にあこがれて暮らす事だろう。

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偶然ですが、また「海が嫌い」な話からはじまり、今回は「海を感じて暮らす」ことの豊かさについて語られました。高野さんを直接知っている人でも普段ここまで話し込んだりすることはないですよね。他の方の海の話も聞いてみたくなりました。たまにはいいですね、こんなカブスも。

さて、次は誰にしましょう、これはリレードキュメントです。

高野さん 「靴の件の記事が落ち着いたら、愛ちゃんにお願いできないかなあ…」

というわけで、次回は愛ちゃんにふりたいとおもいます。 お楽しみに。